「未踏事業」は、突出したIT人材を発掘・育成する国家プロジェクト。経済産業省所管の独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が2000年にスタートし、落合陽一氏をはじめ数々の「天才」を輩出してきました。何がそれを可能にしたのか、どのような成果が生まれているのか、そして、彼らは日本の企業に何をもたらし得るのか。新たな人材を育てる意味と可能性についてお話を聞きました。
【インタビュイー】
菊池 龍佑
経済産業省商務情報政策局情報技術利用促進課(ITイノベーション課)課長補佐
2007年経済産業省入省。LCA手法を活用したカーボンフットプリントの普及政策の企画設計に従事。電気自動車など次世代自動車の普及事業、自動車開発の手法の一つであるモデルベース開発の推進に向けた自動車・部品メーカー等との産学官連携事業の企画設計を担う。人事部門、福島原子力発電所事故収束対応の企画調整に従事し、2022年情報技術利用促進課(ITイノベーション課)課長補佐として未踏事業、地域DX推進ラボを担当。
独創的・革新的な天才を見出し育てる人材育成「未踏事業」とは
――経済産業省が人材育成に取り組む背景にはどのようなことがあるのでしょうか。
経済産業省では、これまでにも、デジタル人材育成としてデジタルスキルの可視化や国家試験を通したスキルの認定などを行ってきました。優れたデジタル人材を育てることで産業界のDXを促進し、新たな価値創造、イノベーションにつなげたいという背景があります。これは、いわば人材のボリュームゾーンを育てていく事業です。
一方で、アイデアの独創性や革新性に重きを置いているのが「未踏事業」です。未踏事業の目的は、今まで見たことのない技術やアイデアの実現を応援し、ITを活用して世の中を変えていくような天才的な人材を発掘・育成する、というところにあります。生成AIの発展を見てもわかるように、社会はすさまじい速さで変化しています。人口減少の時代にデジタル技術の活用は不可欠ですが、その技術で何をするべきなのか、正解が予測できにくくなっている。だからこそ、既存の事業を革新的に変えられる人材を育てていく必要があると考えています。
――未踏事業は、具体的にはどのように進行するのでしょうか。
毎年1回、IT技術を活用したソフトウエア開発やサービス・製品開発などに関するアイデア(テーマ)を公募します。プロジェクトマネージャー(以下、PM)による審査の上で採択、8カ月から9カ月をかけて伴走支援のもと、そのアイデアの具現化・ビジネス化を行います。その過程をとおして人材育成をするという考え方です。
現在は3つの分野があり、合わせて年間で133名(2024年実績)の修了生を輩出しています。
――PMとして、錚々たる著名人が参画されています。
統括PMである竹内郁雄さん、夏野剛さんをはじめ、まさに、産業界・学界のトップランナーの方々が協力してくださっています。採択にあたっても各々のPMの意見がしっかり反映され、個々のPMが見込んだアイデアは半ば「一本釣り」のようなかたちで選定されます。多数決による合議制のように均一的な採択ではないからこそ、これまでの方法では埋もれてしまったかもしれない才能を発掘することができていると思います。
採択後は、PMが常に採択者(クリエータ)に伴走し、時に厳しい指摘もしながら強みを引き出し、プロジェクトの実現を目指します。
――プロジェクト推進の費用も支給されるのですね。
はい。IPAとクリエータ個人が契約する形をとっていて、プロジェクトの推進費用として最大1600万円(未踏ADの場合)が支給されます。さらに、そこで生まれた成果についての知財権が応募者本人に帰属することも大きな特徴だと思います。
――あくまでも個人の才能を発掘・育成するということですね。これまでに、どのようなプロジェクトがあったのでしょうか。
たとえば、ウェアラブルLEDモジュールの制御システムの開発で採択され、その後、ダンスなどのステージ表現で、音や光、映像を同期したパフォーマンスで高い評価を得ている人、いちごの自動受粉ロボットシステムの開発で果実類の完全自動栽培を目指している人、盆栽の3Dアーカイブ化のアイデアで世界の注目を集めたグループなど、革新的なものばかりです。IPAのサイトには、たくさんの修了生の活躍を紹介しているので、見ていただければ、その多様性がおわかりいただけると思います。
――採択される人はどんな人が多いのでしょうか。
アイデアの方向性は本当に多様なのですが、共通点があるとすると、本人たちの情熱というか、「〇〇が好きだ!」「〇〇を実現したい!」「こんな社会課題を解決したい!」という強い想いだと思います。自分たちが心から興味を持ち、情熱を傾けられるテーマに真剣に取り組む。育成期間中には合宿があったり成果発表会があったりするのですが、彼らが取り組む姿を見ていると、こちらまでワクワクします。まさに、「エモい」現場だと思っています。
プロジェクトマネージャーの愛情と情熱が、「出る杭」を伸ばす
――クリエータたちのその情熱を導くのがPM、ということですね。
そうですね。みなさん、とてつもなくお忙しい方ばかりですが、本当に真剣に、情熱をもってクリエータたちに向き合ってくださっています。採択された開発テーマの中には、相当に「ぶっ飛んだ」ものもあるのですが、未踏事業では、「出る杭」をどんどん伸ばしてこそ革新的なものが生まれる、というのが共通認識になっています。
――その「出る杭」を、どのようにして伸ばしているのでしょうか。
漆原PMの言葉を借りれば、大事なのはクリエータたちに「フルスイングさせること」と、「正しく転ばせること」だと。まずは、やりたいこと、興味のあることを思い切り追求してもらう。結果を恐れないフルスイングです。しかし一方で、実際に社会実装する過程で失敗や修正はつきもの。実際に起業してからの失敗は大けがになってしまいますが、未踏事業の期間中なら多少の失敗は許される。正しく小さく転ぶことによってアイデアは磨かれ、より力強くなっていくのだと思います。
――なるほど。そういう姿勢を、企業でも見習えるといいですね。企業では新しいアイデアを募ったとしても、本業にメリットがあるかどうか、短期的な利益を優先してしまって、本当に独創的なものはなかなか実現しません。国が未踏事業を行うことの意味は、そういうところにもあるのかもしれないですね。
長期的視点ということですね。それに加えて、PMとクリエータの間に利害関係がないということも大きいのかもしれません。クリエータは自分の興味関心をとことん追求するし、PMは彼らのテーマの実現のために強みや個性が伸びるようアドバイスする。純粋に「いいものにしたい」という思いでプロジェクトを動かしているからこそ、革新的なものが生まれているのだと思います。
人材発掘の裾野を地方に広げる、AKATSUKIプロジェクト
――25年が経過した未踏事業ですが、地域格差への気づきがあったそうですね。
近年のデジタル化によって地域格差は確実に小さくなってはいるのですが、最新の情報に触れる機会、体験する機会には、まだまだ差があると感じています。事実、未踏事業の応募者は圧倒的に関東圏に集中しています。ただ、それはあくまでも「機会の偏在」であって能力差ではない。竹内統括PMは、「才能に地域格差なんて存在しない」と繰り返しおっしゃっています。こうした、地域の優れた才能を発掘すべく、2023年に立ち上げたのが「AKATSUKIプロジェクト」です。
――どういったものでしょうか。
未踏事業で培ったノウハウを活かして、各地で「未踏的な」人材発掘・育成事業を行う、とお考えください。事業を行うのは公募で採択された補助事業者で、人材育成企業や大学などの教育機関、公共機関など様々ですが、開発テーマを募集し、採択し、PMが伴走しながら具現化・事業化するという方法は未踏事業と同じです。プロジェクトの運営には、各地で活躍している未踏修了生も多数協力してくださっています。
AKATSUKIプロジェクトで採択され、後に未踏事業に応募する人も多くいます。たとえば、先ほど例を挙げた「盆栽の3Dアーカイブ化」のグループもAKATSUKIプロジェクト出身。友人の祖父から譲り受けた盆栽をスタート地点にして、繊細な技術が必要な盆栽育成をデジタル技術でサポートできるプログラムを開発しました。その後、未踏事業に採択され、盆栽の3Dデータをアーカイブ化することで樹形美の分析をするとともに、職人技である針金かけや剪定などのサジェストも行えるシステムを確立しました。彼らは盆栽の聖地と言われる大宮盆栽美術館の貴重盆栽のデジタルアーカイブ化に成功し、世界の盆栽ファンを魅了する事業に発展しています。
――日本の各地で、さらなる才能が発掘されているということですね。AKATSUKIプロジェクトが生まれたことで、未踏事業本体にも変化はありましたか。
何よりも未踏関係者の方々の御協力が増えてきている点にあります。初期の修了生から最近の修了生まで、また、PMの方々も各地域のプログラムに関わっていただいております。地域で様々な課題にぶつかり、もがきながらも、未踏のように若手のフルスイングする場を惜しみなく提供してくださっている地域の事業者と未踏関係者が手を取り合って未踏事業の裾野を広げることで、さらなる人材の発掘につなげたいと思いますし、各地域で、地域に根差したイノベーション、社会課題を解決するような事業が活性化することを期待しています。
未踏コミュニティが、企業を、社会を、内側から変革する
――未踏事業の修了生は、25年で2400人以上にのぼるということでした。皆さん、どのような進路を選ばれるのでしょうか。
約500名がアカデミア、約500名あまりがスタートアップ、残りの方々は企業に所属するなどしていますが、本当にいろいろなキャリアの方がいらっしゃいます。
――修了後も、ずっとつながりがあるということですが…。
はい。育成期間を通じて同期たちと交流する機会は多く、テーマの具現化・事業化の過程で切磋琢磨することで深いつながりが生まれているようです。また、先ほど申し上げた育成期間中の合宿や成果発表会などには、修了生も参加して熱心にアドバイスしています。PMだけでなく、先輩や同期たちからも愛ある厳しい指摘を受けて、磨かれていくわけです。
修了生を中心に立ち上げた社団法人未踏という組織がコミュニティの核となっていますが、未踏で培った人のつながりは彼らにとっての大きな財産になっていると思います。実際に、修了生たちが協力して事業を立ち上げる例も数多くあります。
――「未踏会議」というイベントも開催されています。
1年に1回、修了生たちがそれぞれのプロジェクトに関するブースを出してプレゼンテーションをする集まりを開催しています。一般の方々にも参加いただけるオープンな催しですので、そこに来ていただけると、彼らのアイデアに実際に触れていただくことができるし、未踏プロジェクトの成果を感じていただけると思います。未踏事業をより広く知っていただくきっかけにもしたいですね。
――企業の人間が未踏会議に参加すると、いろいろなアイデアに出会うことができそうですね。最後に、未踏事業が突出して優れた人材を輩出することで、企業や日本社会にはどのような影響が生まれるのでしょうか。
卓越したアイデアと最先端の技術を使いこなす能力を併せ持つ人材は、その周囲の人たちのレベルも引き上げる効果があると考えています。企業であれば、社員の中に未踏修了生がいることで、優れたIT技術や考え方を社内に広げることができる。未踏修了生を起点にIT人材が育てば、事業を内側から変革していく力になると思います。
また、そういった技術は、正しく使うこともそして悪く使うことも出来ます。未踏事業の修了生たちが世界をより良くするために、技術を磨き上げ、世の中へ実装し、 核となって、教育機関や研究機関、企業、ベンチャーなど、様々な人を巻き込み、そこから連鎖的にイノベーションが生まれるようになることが、ひとつの理想です。私たちは、そうした「未踏事業の人材育成エコシステム」の確立を目指しています。このエコシステムが活性化すれば、日本のイノベーションが世界を変えていく未来も見えてくると思います。
――イノベーションが起こりにくいと言われる日本の企業が、未踏事業、未踏人材によって変わっていく、そんな未来が見えてきた気がします。企業の採用や人材育成の面でも、重要な学びがたくさんあったと思います。本日はありがとうございました。
まとめ
国家プロジェクトである「未踏事業」は、25年にわたってIT領域の天才たちを輩出しつづけています。それを可能にしているのは、「出る杭」を徹底的に伸ばす育成方針と、産業界・学界のトップランナーたちによる愛ある伴走。突出して優れた技術と考え方を身につけた未踏修了生たちが起こすイノベーションは、日本の企業や社会を内側から変える力として、大きな期待を集めています。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。大広COCAMPでは、これからも社会課題やソーシャルグッドに関するコラムに関するコラムを掲載してまいります。まだメルマガ未登録の方は、これを機会にぜひ、下記よりご登録ください。
またCOCAMP編集室では、みなさんからの「このコラムのここが良かった」というご感想や「こんなコンテンツがあれば役立つ」などのご意見をお待ちしています。こちら相談フォームから、ぜひご連絡ください。